いろいろなハクチョウ(カモ科・カモ目・ハクチョウ属)

ハクチョウとは、カモ科の7種の水鳥の総称です。「小湊のハクチョウおよびその渡来地」に渡来するのはオオハクチョウです。
オオハクチョウは主にシベリアで繁殖し、冬季は温暖な日本などで越冬する大型の渡り鳥です。

 名前 写真   備考
 オオハクチョウ     

ユーラシア大陸北部、アイスランドで繁殖し、冬季になるとイギリス、イタリア北部、スイス、中国東部、朝鮮半島、カスピ海や黒海沿岸で越冬する。日本では冬季に主に日本海側の本州以北に飛来する。

 コハクチョウ     

ユーラシア大陸北部で繁殖し、冬季になるとヨーロッパ(アイルランド、イギリス南部、オランダ、デンマークなど)、カスピ海周辺、韓国、中国東部、日本などへ南下し越冬する。

 アメリカコハクチョウ     

アラスカ州やハドソン湾などで繁殖し、冬季になるとカリフォルニア半島やチェサピーク湾などへ南下し越冬する。

 ナキハクチョウ     

アラスカ州の北西部の湿地帯で繁殖し、冬季になるとワシントン州北西部のピュージェット湾からコロラド州にかけて南下し越冬する。

 コブハクチョウ  

ヨーロッパ、中央アジアを中心に生息している。他にも北アメリカ東部、南アフリカ、オーストラリア、ニュージーランドなど世界各地に移入されている。日本でも見かけるが本来分布していない。

 クロエリハクチョウ     

南アメリカ南部のパタゴニアやフォークランド諸島などの淡水の湖、湿地、干潟に生息する。

 カモハクチョウ  

アルゼンチン南部やチリ南部で繁殖し、冬季になるとアルゼンチン北部、ウルグアイ、ブラジル南部、パラグアイなどへ北上し越冬する。

 

 

大人と子ども

オオハクチョウを観察してみましょう。
よく見ると、体の色が白いものと灰色のものがいます。白いのは、大人のハクチョウ、灰色は子どものハクチョウです。卵から羽化すると2か月から3か月で飛べるようになりますが、大人と同じ色になるには2年ぐらいかかります。

 

 成鳥(おとな)  幼鳥(こども)
   

 

ハクチョウの1年間

餌場が凍ってしまう冬は日本などへ南下し、低地の開けた広い水面を持つ大河川、湖沼、水田、内湾、入り江などで越冬します。

 月(季節)  ハクチョウの生活
 9月 繁殖地であるシベリアは日中でも気温が氷点下になり、餌場が氷に閉ざされてしまうため、餌を求めて移動が始まります。
 10月中旬から下旬 越冬のため日本に渡ってくるハクチョウのほとんどは北海道を経由します。湖沼、河川で観察できるようになります。
 11月上旬 北海道も寒くなり、餌場が氷に閉ざされてしまうこともあるため、多くのハクチョウは本州へ渡り越冬します。
 3月下旬 本州で越冬を終えたハクチョウは再び北海道に渡りシベリアへ戻る準備をします。
 4月下旬 日本を飛び立ち、シベリアへ戻っていきます。
 5月下旬から6月上旬  流木などを集めて巣作りをします。巣は小高く直径2mから3mぐらいの大きさで、ここで卵を産み育てます。
 6月から7月  ヒナが生まれ、水辺で親鳥に見守られながら餌の取り方を学びます。
 9月から10月  ヒナは生まれて2か月から3か月で飛べるようになり、越冬のため移動します。
 

どこに住んでいるの?

オオハクチョウの生息地(繁殖地)は、針葉樹の森が広がっている「タイガ地帯」です。

 

なにを食べているの?

ハクチョウは水草の葉、茎、地下茎、根、を好んで食べ、草食性と思われがちですが、実は雑食性です。時には昆虫、貝、甲殻類も食べるのです。

日中、水田などへ採食に行き、地上を歩きながら落穂などをついばみます。
また、逆立ちして水中に上半身を入れ、水底の草・堆積物なども食べ、カモ類よりも首が長いため、深い水底まで採食できます。

 

どうやって眠るの?

ハクチョウは、頭を羽に入れて眠ります。
夜間、地上の天敵から襲われない水上や草かげで眠り、翌朝、再び飛び立ち、日中は採食に出かけます。

 

どうやって浮かんでいるの?

ハクチョウが水面に浮かぶ原理は、お尻に油脂腺というところから分泌される油を羽つくろいで塗り付け、撥水性を持たせています。また、それによって羽毛の間に空気をためられるようになり、それが浮き袋の役目を果たしています。

 

ハクチョウ伝説 古から伝わる数々のハクチョウ伝説は語り継がれています。 

雷電宮の使い姫

天正1573年、いまから440年以上前のことです。当時、津軽藩領であったこの地域に南部藩の軍勢が大挙して攻め入りました。そのとき、雷電宮にて戦勝祈願を行うと、たくさんのハクチョウが境内に降り立ち、それを見た南部藩の軍勢が敵の援軍と見間違え、引き返したということです。この地域でハクチョウは、古くから「雷電宮の使姫」として、あるいは地域の守り神として、「おぼしなさま」と呼ばれ、信仰をもって保護されてきました。もし、ハクチョウを捕殺するものがあれば、不幸を招くとも伝えられてきました。また、傷病したハクチョウには応急手当を施し、処置のかいなく死んだときは、神社の神職が立ち合いのうえ、雷電宮境内地の「白鳥塚」に埋葬されてきました。このようにハクチョウの熱心な保護や伝説、信仰に基づく数々の風俗習慣の残るところとしても知られており、特別天然記念物に指定された理由の一つでもあります。
 

(平内町史抜粋)

南部より軍勢寄せ来るべき由聞えければ、七戸修理討平の旨を領して出立ける時、氏神雷電宮に詣りて戦勝を祈りければ不思議なるかな何くよりけん数のハクチョウ境内に飛び集えけり。南部勢之を見て援兵白旗を立ててあるかなうまじ、途中より引き返せんとなん。故に今日に至るまで神使としてその捕獲を禁じければ常に群集して人々をも恐れざりき。

おぼしなさま

 

白鳥おじさん

1959年(昭和34年度)12月下旬に1,000羽を超える大量のハクチョウが渡来しました。その結果、餌不足による栄養失調で50数羽が死亡する事件がありました。この時、浅所小学校、同PTA、東和婦人会・町内会、教育委員会などが中心になって保護活動として餌付けを行いました。メンバーの中には白鳥保護観察員をしていた畠山さんも入っており、後の「白鳥おじさん」と呼ばれるきっかけとなりました。
長年に渡り保護活動に尽力いただいた畠山さんの胸像が浅所海岸に置かれており、そのには座右の銘が刻まれています。
「この仕事はボランティアですよ 誰の指図も受けないし 何年やってもクビにならないところがいい」

白鳥おばさん

1971年(昭和46年)に青森県の浅所海岸に渡来するオオハクチョウの世話をしていた旧浅所小学校が餌代に困っているとの新聞記事を見て、岐阜県に在住しておられた松波夏子さんが匿名で餌代を送金してくださり、その後も定期的に寄付を続けてこられました。同小学校は基金を創設して、餌代や教材費に充てました。また、児童たちもお小遣いを出し合って同小学校に招待するなど「白鳥おばさん」との交流が深まりました。